「不登校の子どもたちに必要なのは、どんな支援なのか?」
——そんな問いに向き合い続けるのが、カウンセラーであり地域の相談支援者でもある木下先生です。本記事は、前編に続くインタビューの後半。家庭内のアンガーマネジメントや祖父母の介入ケースなど、実際の支援現場の知見をもとに、よりリアルに“今の不登校支援の実情”を描き出します。
今回は特に、支援者が直面する「変わらない親」「動けない家庭」「すれ違う教育と現場」など、構造的な課題にも踏み込みつつ、木下先生ならではの視点で、一歩踏み込んだ対話が展開されます。
認定精神保健福祉士に聞く—すららコラム編集部インタビュー

プロフィール
メ教育と人間関係の相談室カンナ/認定精神保健福祉士
木下 秀美 先生
精神保健福祉士として、子どもや保護者の悩みに寄り添い続ける。京都府向日市の「教育と人間関係の相談室カンナ」を拠点に、家庭の困りごとに応じたカウンセリングや地域支援、親の会の運営などに幅広く携わる。家庭に“安心の土台”を築くことを大切に、一人ひとりと丁寧に向き合っている。
相談室カンナHP:https://mhswkanna.jp/
認知行動療法と家庭支援のリアル
ーー佐々木:ここまでで、認知行動療法のアプローチが感情面から始まるというお話がありましたが、その最初の部分でつまずく方も多いように感じています。私たちの「ほめビリティ ペアレンティング」に参加されている保護者の中にも、「どうせ私なんか…」とか「うちの子なんか…」といった自己否定的な認知が強いケースがよく見られます。私たちは“勉強屋”なので、どうしても「勉強させなきゃ」と考えてしまいがちですが、実際には「子どもの気持ちを尊重したい」という思いとの狭間で悩む方が多いんです。そうしたときに、木下先生がどのように寄り添い、認知の歪みにアプローチしておられるのか、もし具体的なエピソードがあればお伺いしたいです。
木下:そうですね…。たとえば「パワハラ型の父親」とでも言いますか。
ーー佐々木:その表現、まさに家庭のなかで起きがちなケースですね。とてもリアルです。
木下:「いや、この時代、その考え方、間違ってませんか?」と率直にお伝えする方がいらっしゃるんですが、その方自身も、自分がそういったハラスメント的な言動をしてしまうことに対して自覚があるんです。たとえば、急にスイッチが入って自分をコントロールできなくなる、といったように。で、それをなんとか修正したいんだ、という気持ちも持っておられる。
木下:その方のご家族の相談を事前に受けていて、どういう人物かある程度の想定はできていたんですが、いざ本人が来られると、最初は「行けと言われたから来ました」みたいな態度なんですね。でも話しているうちに、「実は自分でも、ついカッとなってしまう怒りをなんとかしたい」「アンガーマネジメントができるようになりたい」とポロっと言われるんです。
木下:「お困りなんですよね」と伝えると、「そうなんです」と。なので、まずはその方の人生をじっくり聞きます。お父さんの場合でもお母さんの場合でも、相手が大人であれば、子どもの話はいったん置いて、「ちなみにお父さんはどういう育ちでしたか?」といったふうに。
木下:すると、昭和の時代や平成の時代を生きてきた方々の背景──家庭環境や時代の風潮、社会的な圧力──が浮かび上がってきて、「そりゃあ、大変でしたよね」と、共感できる部分がたくさん出てくる。
木下:そうやって信頼関係を築きながら、「でも、その話はその話で、世代間の連鎖は断ち切らないといけないですよね?」と少し切り込むと、「そうなんですよ。でもやってしまうんですよ」と返ってくる。そこで僕なりに簡略化したアンガーマネジメントのプログラムを、「やってみますか?」と提案すると、「ぜひやりたいです」と。
木下:それで、認知行動療法のシートのような形にして「これ、つけてみてください」と。何回か取り組んでもらって、あとからご家族に様子を聞いてみると、「だいぶマシになりました」とおっしゃる。
ーー佐々木:なるほど…まさに“自分自身を変えたい”という当事者の意思と、対話によって引き出される本音、その両輪がうまく噛み合ったケースですね。
木下:変わるんですよ。うん、変わるんですけども、ただ別の問題が発生すると、たとえば不景気や、コロナの影響とか、経済面などの違うストレス要因が重なったときに、また着火してしまうんですね。「炎上してます」とか、「火の粉がまたこちらに飛んできて、よりひどくなってます」みたいな状況になることもあります。
ーー佐々木:一度手に入れた改善も、環境次第で脆く崩れてしまうことがある…。応用力や持続性の課題が浮かび上がりますね。
木下:そうですね。自分にこんな癖がある、こんなパターンがある、それがよろしくないことだと理解していて、なんとかしたい。方法論も学んだつもりだけど、なかなか継続できないというのが現実です。
ーー佐々木:そうですよね。頭では理解しているけれど、日常の中では元のパターンに引き戻されてしまう。抽象的な理解と具体的な行動との間にあるギャップは、本当に大きな壁です。
木下:まさにそうです。それに、やっぱり目の前の経済問題の方が優先されることも多いですからね。
ーー佐々木:現実的な課題の前では、どうしても“支援”は後回しにされがちですよね。目の前の火を消すことに精一杯になってしまう。
木下:だから一概に、「子育てがうまくいってないから」とか、「学校に行く行かない」とか、「成績が…」という切り口だけから入ると、たぶんトラブルの本質にはたどり着けない。

祖父母がキーパーソンとなる家庭
木下:僕の相談室での話ですが、塾や教育サービスなど、別の立場で支援されている方たちはまた違う難しさがあると思います。で、あとでアジェンダの5番、6番あたりで話そうと思っていたケースがもう1つあります。
ーー佐々木:ありがとうございます、ぜひその事例もうかがわせてください。
木下:これは先ほどの方と隣り合うような、少し違うタイプのケースなんですが…親がネグレクトしているわけではない。でも、自分の仕事と生活で精いっぱい。そういうご家庭で、孫が不登校になっていて、おばあちゃんが相談に来られるケースです。この「おばあちゃん」が出てくるケース、けっこうあるんですよ。おばあちゃんが孫の世話もして、経済的にも協力していてたり。でも、我が子とその配偶者(親)がなかなか前面に出てこない。こだわりが強くて、「今、自分たちは仕事をがんばってるから、子育てまでは無理。おばあちゃん、お願い」みたいな状況。そうやっておばあちゃんがすべてを背負っている家庭もあります。おばあちゃんはやっぱりキーパーソンなんです。長男が不登校になり、下も次々と不登校…というケースもありました。
ーー佐々木:お話から、ご家庭のなかの役割のズレや、担い手の偏りがかなり大きいことが伝わってきますね。それにしても、子ども次々と不登校というのは、非常に深刻です…。
木下:で、この下の子は、上を見たら「そりゃそうなるわな」なんて。それぞれに認知特性、あるいは発達特性というのはかなりありますし、ということはその親もそうだろうと推測されます。
ーー佐々木:なるほど、そう考えると、家庭全体の気質や関わり方が子どもたちに強く影響しているのがよくわかります。
木下:で、このおばあちゃんに対して、そのお話を聞いた時の僕の第一声が「あの、大丈夫、なんとかなりますよ」なんですよね。そこで首をかしげてらっしゃいました。「ほんまかいな」って。その方、実は元教師なんです。
ーー佐々木:それは印象的ですね。元教師であればこそ、不登校という現実に対して理屈ではなく実感として戸惑いがあったのかもしれません。
木下:その頃は不登校って本当にほぼいなかったと思うんです。いたとしても小学校で、教師集団で手厚く、学年団としてその子に関わっていくっていうことをしてたので、なんとかなってた。それが今は、そういうこともできない状態で。先生も大変で、親が「私も無理」みたいな。まあ、逃げてるような感じで。で、おばあちゃん一人で孫たちの子育て、しかも不登校みたいな。それはまあ大変ですよねって。しかしながら「でも大丈夫、なんとかなりますよ」「ほんまかいな」っていうのが出発点ですね。それで家の中のことを、ねちねちと根掘り葉掘りお聞かせいただいて。
木下:でも、子どもたちにとっておばあちゃんはもちろんキーパーソンで、大事な存在ではあるけど、やっぱり子どもにとってのお母さん、あるいはお父さんの役割っていうのは絶対ある。そこは外して話は進められない。だから親も理解も自覚もしてもらいながら、変わってもらわなきゃいけないっていうことで。それで、おばあさんから親2人に対して間接的に認知行動療法的なアプローチをして、「あ、なるほど」ってなっていただきながら、ちょっとずつ変えていく。それを子どもたちにも伝えてもらって、しっかりそれを見ている。
木下:まあ、そんな家族内の力動を動かしながら、やっぱり子どもは成長するんです。その間に学校の対応もよくなって、担任が代わってよくなったみたいでした。「今がチャンス」と。
ーー佐々木:おばあちゃんを起点にしながらも、家族全体の関わりに働きかけていく流れが見事ですね。そのタイミングで「今がチャンス」と見極める支援の勘所も、すごく重要なんだと感じました。
木下:うん、そう。「今ですよ」って言って、おばあちゃんの背中をグッと押して。「これはお母さんに言った方がいい」と言って、「お母さんもそれでいい」とか。「これをお父さんの出番です」とか、具体的にアドバイスして。で、たまたまその子が動き出すタイミングと重なった。
ーー佐々木:まさに支援と本人のタイミングが交差した瞬間ですね。
木下:中学校になってましたけど、1年の最後かな。1年の担任がどうも合わなくて、校長が2年の担任を配慮してタイプの違う人を配置しました。
ーー佐々木:それは学校としても相当思い切った判断ですね。環境の変化がうまく作用したんですね。
木下:で、「今がチャンス」と。新しい担任が上手に、「例えば5時になったらみんな帰るから、そのあと一緒にバレーボールでもやらへん?」みたいに誘ってくれて。制服着ていかなくても、「放課後になってるから、かまへんで」とか言って。で、行ったら楽しかった。そういう体験が、ちょっとずつ積まれていって。それで「試験だけ受けてみないか」とか、「勉強したい授業だけ出てみようか」とか。ちょっとずつ。でも基本は「来れるときは学校に来て。教室じゃなくて別室を用意してるから」って。畳が敷いてある、素晴らしい別室があって。寝転がってたのが、もう最高の時間だったそうです。
ーー佐々木:その別室の存在も含めて、環境づくりがいかに大切か、改めて感じさせられます。学校が柔軟な選択肢を用意してくれたことが、子どもの回復を後押ししたんですね。

子どもたちが主体的に変わっていくとき
木下:「いつ来てもいい」と。その部屋で寝転がってても、「勉強したかったら、呼んでくれたら、課題用意するよ」とか。「時間とって教えるよ」とかって言ってくれて。そういう時間を経て、少しずつ学校にも入れるようになっていって。で、当然居場所の方にもつながっていって、居場所の中ではその子が割とまとめ役的な存在になってくれて。で、その後、1年・2年と不登校だと内申点の問題があって公立高校は無理だったんですが、通信制高校に行って、やっぱり変化がありました。ぐーんと成長して、バイトもして評価もされて、お金も入ってきて。それで本気で「大学行きたい」となって。第一志望の大学は、やっぱり試験慣れしてないのでダメだったんですけど、滑り止めの第二志望の大学の同じコースには受かって。その後、希望することになった対人援助職になられました。
ーー佐々木:ええ、それは驚きました。支援される側だった子が、支援する側に回るなんて本当にすごいですね。まさに本人の努力と環境の力が合わさった成果だと感じます。
木下:そうなんです。居場所に来てた子で、今、大学や専門学校に行ってる子もいます。親に聞くと、将来の目標をちゃんと持っていたり。いろんな子がいますね。
ーー佐々木:とても興味深いですね。とくに印象的なのは、発達特性が混在している家庭のなかで、それぞれの立場の人たちがどう影響しあっていくかという構造の面白さです。
木下:まさに醍醐味ですよ。ちょっとした障害サポートに近い。本当に。
ーー佐々木:お話を聞いていて改めて思ったのは、子どもにとっての両親、つまりおばあちゃんの息子さん・娘さん世代の行動の変容です。支援現場でもよく聞くのが、「興味・関心がゼロで、まったく動かない親」をどうしたらいいのかという悩みで…。流れで親御さんを例に挙げてしまいましたが、焦点はそこではなくて、親に限らず“ヒトの無関心さからの変容”をどう引き出すかが大きなテーマなんですよね。今回のように、第三者であるおばあさまを経由して間接的に認知を揺らすアプローチは、示唆に富んでいると感じました。
木下:まさにそうですね。神経発達症・障害特性の理解という視点から、おばあちゃんが、自分の子どもとその配偶者を見る。そしてその下の世代、孫を見るという視点を大事にしましょうと。で、本人が「じゃあ、こうするわ」って言い出したことを尊重する。これが主体性を大事にするということですよね。それから、インターネット。特にゲームは自由でいい。そこは制限しちゃだめ。
木下:ネットの世界、とくにLINEっていうのは良くも悪くもつながる手段なんですけど、悪い方にいっちゃうとよろしくない。でも、居場所でつながった子どもたちのLINEグループなんかは、極めて健全で、活気にあふれている。次に居場所で何をするかを議論したり、新しく入ってきた子との関わりが難しいということを、先輩たちが話し合ったりしてる。そのLINEを見て、下の子たちが「先輩たちはこんなこと考えてるんだ」と学んで、自分も「こうやって声かけしよう」と考えたりしてる。
木下:さっきの通信制高校から後に援助職になった子が大学に入った頃、「居場所でのこどもたち同士の関わり方が、すごく有機的な結合をしている」と言ってましたね。一人ひとりは課題や問題、背負ってるものがたくさんあるけど、居場所というところに来ると、こどもとして、人として大事にされてるとわかる。だから、自分が大事にされた経験を、他のこどもにも経験してほしいと思ってる。そういう人間としてのつながりを、こどもたち自身が勝手に、というか、主体的につくり上げていった。親が関わらなくても。
木下:最初は「こんな場を提供するよ、フリーで何でもしていいよ」って場所を用意するんだけど、そのうち親はうとましくなるから、こどもたちだけで遊びや外出先を考えて動くようになる。テレビゲームとかスマホゲームなんかはもうすでにやり尽くしてるこどもたちが集まる場所なんですよ。
ーー佐々木:そこまでくると、まさにこどもたちが“居場所を育てている”状態ですね。これはすごいことだと思います。
木下:で、彼らがやり始めたのが、麻雀とか百人一首とか。割とオーソドックスで古典的なリアルゲームを楽しんでました。遊びって、こどもにとってすごく大事なんです。「ここは勉強する場所だから」って最初に勉強からスタートするのも、やり方としては王道なんでしょうけど。でも、まず自分にとって平和で安全で大丈夫な場所で、そこの人が自分にとって安全で役に立つ人、いじめたりしない人だと感じられる関係が必要。そのためのツールとして、遊び。リアル系のゲーム、カードゲームから始めるのは大事だと思います。僕が知ってる発達課題のあるこどもに特化した学習塾をやってる先生も、まずゲームからって言ってます。
ーー佐々木:たしかに、遊びの中で安心感や信頼関係を築けるからこそ、学びがそのあとに続くんですね。
木下:どれくらいそのこどもができるかをアセスメントするために、「もうゲームだいぶやったから、最後の10分だけこれやってみよう」と言って、タブレット学習をやる。その流れで学習時間を増やしていく。最後にゲームの時間はちゃんと取ってある、ということでうまくいってるところもありますね。
ーー佐々木:なるほど。すべての子に同じ方法が通用するわけじゃないですが、それぞれの特性を活かすための工夫の一つとして、非常に参考になります。
木下:うん。まったく逆のケースもあります。「やればできちゃう」「やれちゃう結果が出ちゃう」子がいてて。でも、やりすぎちゃって、疲れて何もできなくなって、後悔する、みたいな。

学びの枠に収まらない子どもたち
木下:中3の夏休みに、情熱を注いでいた部活が終わってしまって——
ーー佐々木:部活をやりきったあとの虚脱感、ありますよね。
木下:その瞬間、いっぺん真っ白になっちゃったんですね。バーンアウトだったと思います。そのまま学校には通っていたけど、授業を受けて進学のために受験勉強をする意欲がなくなってしまって、学校に行かなくなってしまった。お母さんは慌てますよね。「どうしましょう」と。
木下:でも、僕は本人が悩みながらも自分で方向を必ず見つけると思うので、「恩着せがましい関わりはやめてください」「昼夜逆転しようが、見ればいつもゲームしててもオッケー」と伝えました。「食事と寝る場所、安全な部屋と家庭だけはしっかり用意してあげてください」と。
木下:そしたら、まぁまぁ無事に——というのは、中1・中2で学校に通っていたという貯金もあって、進学はできた。もちろんゲームもしてましたよ。でも、こっそり受験勉強してて、一般入試で高校に入ったんですよ。
ーー佐々木:それはすごいですね。静かに準備を整えていたというのがまた印象的です。ご本人のペースを信じた支援の力も大きいと感じます。
木下:そうそう。親が寝てる間に勉強してたみたいで。ただ、いざ高校に通い始めたら、中1・中2で頑張ってた自分と今の自分の間にギャップがあって、しかも昼夜逆転の生活が染みついちゃっていたので、朝一番から登校して授業を受けるっていうのが苦痛でしかなくなった。だから「自分に合った学校に変えるのもアリなんちゃうか?」って、通信制や海外の学校も含めて考えてみるのも選択肢に考えていました。
木下:で、お母さんがその高校に入ってすぐスクールカウンセラーを紹介されて、本人がカウンセリングを受けたんです。で、僕が「カウンセラーさんに何て言われたん?」って聞いたら、「自分のペースで通えるようになればええんちゃう?」って言ってたと。
木下:もう僕、大賛成。「ほんまやわ」って。だから「続けて経過観察したいけど、あんたもう二度と来る気ないやろ?」って言って笑いながら見送りました。お母さん思いのこどもだと一目でわかりましたし、同じ考え方をするカウンセラーは二人もいらないし。
木下:で、そのとき言ったんです。「これはあくまでも個人的な感想として聞いてほしいけど、あなたの選択肢としては今の高校で、自分のペースを作っていくのが一番ええ。そこから次の進路を考えていったらええ」と。
木下:「趣味は?」って聞いたら、高校で選んだコースが趣味ど真ん中だったんですよ。好きなことも将来やりたいこともそこに全部詰まってる。だから「それ逃す手はないわ」と言って送り出しました。
ーー佐々木:興味のあることを起点に、学びを自分のリズムに引き寄せていく。その柔軟さこそが、いま求められている姿勢だと思います。
木下:できすぎて燃え尽きてしまったパターンって、やっぱりありますよね。全エネルギー消失で、しばらく回復できない。
ーー佐々木:まさに、最初から全速力で走ってしまって、あとが続かない感じ。無理しちゃうんですよね。
木下:そう。賢い子なんで、エッセンスだけちゃんと受け取って、自分なりに再構築してくれると信じてますし、それしかないんです。
ーー佐々木:ここまでの流れで、学びや進路の話も少し出てきたので、ぜひこの機会にお聞きしたいことがあります。私たちは“学び”を扱う立場として、不登校や発達障害のお子さんと日々向き合う中で、正解のない支援に常に迷いながら手探りで進めています。そうしたなかで、木下先生が考える「このような子どもたちに本当に必要な学び」や「学びを支える支援のあり方」があれば、ぜひ教えていただけないでしょうか。
木下:考えははっきりしてるんですが、それを勉強を教える側の人に言うと、すごいギャップや矛盾が生まれてしまうと思うんです。まず、発達課題のある子に「何年生だからこのレベルの学習を」といった横並びの枠をはめるのはやめてほしい。絶対にと言っていいほどはまりません。それ以上に進んでいる子もいれば、どれだけ頑張っても到達できない子もいます。
木下:限局性学習症のある子——耳から聞いて理解はできるけど、読めない、書けないなど。教科書やプリントが全く意味をなさない。テストも意味がない、っていう子は実際にいます。また、興味のないことには一切やる気が出ないけど、好きなことにはものすごく深く掘り下げていくタイプの子もいて。
ーー佐々木:わかります。そういう子って、一般的な評価軸では“問題児”とされがちですけど、実はめちゃくちゃユニークで面白い存在なんですよね。
木下:そういう子たちに「中2だから、そろそろ高校進学を見据えて…」とか言っても、ふーんって感じになるだけ。進路指導してもうまくいかない。でも、だからといって高校に行かない選択をするには、すごく勇気がいる。本人が「ここがいい」と決めた高校に行くのであれば、それはそれで良いと思います。ただ、そのために「今のうちに学習面のレベルを上げておいたほうが後が楽だよ」っていう発想はありがたいし、意味もあると思うんですけど、本人にその気がないときに押し付けると、逆効果。なので、ある意味で「ほっといた方がいい」と思うこともあります。始まりは突然に、人それぞれに、です。
不登校を「教育の構造」から考える
木下:例えば、鉄道でも何でもいいんですが、好きな分野にバーンと飛び込んで、いつしか中2・中3・高1あたりの勉強をやらざるを得なくなる場面って、どうしても来るじゃないですか。英語も含めてね。
木下:そのときに、やるんです。彼らは。そしたら、すぐ取り戻しますね。通信制高校のありがたいところは、たとえば中学校まるまるとか、小学校高学年から中学を飛ばした子でも受け入れて、高1の段階でまず中学の英語以外の学習を取り戻す。英語は2年生になってからとか、そういう個別対応をしてくれるところもあって、それで本当に伸びる。
木下:そのあと専門学校に進んだり、「えっ、そこ行くの?」っていうようなところに進んだり、大学に行ったりするんですよ。最初は「ゲーム以外何もしてない」っていう子が、居場所に時々顔を出しながら、自己評価を上げて、楽しみながら、自分に近い境遇の仲間たちと過ごすなかで——もちろん発達のバランスは違うけど——「みんなが大事にされる場って、居心地いいな」って感じて、先輩たちが高校進学を決めていく姿を見ていて、「ああ、自分もそろそろ考えなきゃ」と思うんでしょうね。
木下:そうやって、自分を追い詰めることなく、自然と自分なりの方向性を見つけて「こっち行くわ」ってなるとき、本当に行っちゃうんですよ。あっという間に。
ーー佐々木:そのときに勉強し始めても意外と遅くない。むしろその方が濃い時間を過ごせて、いいのかもしれないですね。
木下:そうそう。ある女の子の話なんですけど、小5から中学にまるまる行ってなかった。家では、布団の中にくるまって、ゲームもそうだけど、タブレットで絵を描いたり、好きなことだけやっていた。
木下:中2・中3ぐらいになって、コスメに目覚めた。外出はしないんだけど、外出準備は一生懸命やってた。高校も渋々通ってたんですけど、レポートもお母さんが業を煮やしながら手伝って。「大丈夫かいな」と思ってた。でも、その子が選んだ進路がまさかのコンピューター専門学校。
木下:で、高校段階ですでにコンピューター系の資格をいくつか取ってて、「もっと取りたい」「仕事にしたい」って。専門学校に進学して、この間見かけたらバリバリコスメして堂々としいてましたよ。
ーー佐々木:それは素敵ですね。好きなことをきっかけに、自分の未来を切り拓いていく姿に、ものすごく勇気をもらいます。
木下:そうなんですよ。親の会で出た話なんですが、あるお母さんが「そろそろこれやるんちゃうかと思って、教材を机に出しておいたら、無視して別のこと始めて『今違うんや』、と思った」と言うこどもも、今は関東の方で専門学校を通じて就職して、バリバリ稼いでる。「体調管理とワークライフバランスが大事」なんて言ってて、いまも買い物の時など計算は苦手の様ですけどね。
ーー佐々木:でも今やセルフレジもあるし、カードで払えば全然問題ないですよね。自分に合った手段で、ちゃんと社会とつながっている。それで十分だと思います。

「勉強以前の課題」に向き合う支援のかたち
ーー佐々木:今のお話を伺っていて、すごく安心しました。というのも、私たちが提供している「すらら」という教材も、まさに“学年に縛られない学び”を大事にしているんです。そのためか、実際に利用されている方の6割以上が、不登校や発達障害のあるお子さんたちです。やはり、学校の学年という枠組みがそもそもフィットしない子が多くて、自由度の高い設計が必要だと常々感じています。ただ、どれだけ教材の仕組みがよくても、学びへの意欲が伴わなければ、成果にはつながらない。その背景には、いわゆる「勉強以前の課題」があるご家庭が多くて。そうした課題に向き合うために、私たちは「ほめビリティ・ペアレンティング」という家庭支援のプログラムも開発しました。学習支援と家庭支援は切り離せない——まさにワンセットで考える必要があると実感しています。
木下:そのほめビリティって子どもや親御さんと直接関わってるんですか?
ーー佐々木:はい、ペアレント・トレーニングでも採用している行動分析学に基づいた実践講座がベースになっていて、オンラインサロン形式で提供しています。今の時代に合わせて、すべて匿名・チャットベースで進行しています。参加者は行動観察をもとに実践→フィードバックを受けるというプロセスを繰り返していて、そこにメンターが入り、約10人に1人の割合で個別サポートも行っています。また、一定期間の参加を経て卒業した方が、次は支援側に回るという循環型の仕組みも作っているんです。
木下:素晴らしいですね。勉強に入れないご家庭にも、「親子の関わり方」に介入できるのは、学習量にもつながっていきそう。
ーー佐々木:まさに、そこをおせっかいだと思わずに踏み込むことこそが、結果的に子どものモチベーションを引き出す“導火線”になると感じています。支援の本質って、意外とそういうところにあるのかもしれません。
社会のなかで学びを再定義する
ーー佐々木:最後に一つ、改めてお聞きしたいのですが——今、私たちの社会において、「学び」とはどうあるべきだとお考えですか? 不登校や発達障害といった個別の課題に向き合うなかで、教育や支援のあり方そのものを、社会全体がどう再定義していくべきなのか。木下先生のご見解を、ぜひ伺いたいです。
木下:家庭の状況、親子関係、子の特性、保育園・幼稚園・学校などの関係性——そういったものから、子どもが教育にどういうイメージを持っているか、大人に対してどう思っているか。そういったところをカウンセリング的に把握して、個別にアプローチを変えることが大切だと思いますね。
ーー佐々木:おっしゃる通りです。私たちも保護者支援を進める中で、「子どもとの関係性をどう捉えるか」という視点を常に問い直しています。たとえばメンターの育成においても、心理士が関与しているとはいえ、どうしても実践の現場では経験則が先行し、客観性とのバランスに悩む場面も少なくありません。
ーー佐々木:それでも、現場に立つメンターたちは強い当事者意識を持ち、実践と学びを繰り返しながら、常に“100点満点”の支援を目指して全力でフィードバックに向き合ってくれています。その熱量には本当に頭が下がります。だからこそ、私たち運営側も、再現性と情熱のバランスをどう整えていくかを、共に悩み、模索しながら前に進んでいるところです。
ーー佐々木:究極的には心理士さんなど専門家がメンターを担うことで解決できるかもしれませんが「質を高めようとすれば数が救えず、数を追えば質が落ちる」——このジレンマに対して、私たちはまず“初級編”として多くの家庭にアクセスしつつ、より深く支援が必要な場合は外部の専門家や制度につなぐ、という二層構造で対応しています。すべてを一つの支援軸に詰め込まない工夫が必要だと感じています。
木下:それはすごく大事ですね。取り出しで試験的にやってみるサービス提供型でもいいし、別枠プログラムとしてビジネスにするのもアリ。個別カウンセリングの重要性も高いと思います。今、僕が学習面の支援者に言ってるのも、学校のスクールカウンセラーがあまり機能していないと思えるからなんですよ。
ーー佐々木:そうですね、日本のスクールカウンセリングの制度的な限界を、私たちも現場で感じています。
木下:本来は不登校といじめの削減を目的に導入されたものですから、うまくいってたら不登校34万人とかにはなってないはずです。逆に、民間のカウンセリングルームも全国的に激減してる。コロナ以降は特に。僕もあるプラットフォームサイトに登録してウェブで発信してるんですけど、年次更新の際に「関東圏から全然返信が返ってこない」と。再度問い合わせたら、「仕事がなくて廃業した」とか、そういう声が多い。これはつまり、学校で形式的にカウンセリングを受けさせられたことで、「カウンセリングとはそういうものだ」という認識が染みついてしまった結果なんじゃないかと。
ーー佐々木:とても深刻ですね。「支援を受けたことでかえって失望してしまった」という構造が、支援離れの原因にもなっている気がします。
木下:同業者で「紹介できる」って人もいないんですよ。臨床心理士・公認心理師を増やしたはいいけど、思っていたほど職場がない。だから多くが学校に職を探す。でも、本当に必要なのはスクールソーシャルワーカーじゃないかと。あるいは事務職員の増員。スクールカウンセラーが教員の相談相手になってる現状は、本来の主たる対象者が変わってきている証拠です。結局、教育を提供している側も、ペアトレをはめようとしても、親や子どもの悩みにうまく懐に入れてない。そこを一緒に考えて、解消しながら学習支援もしていく。そういうアプローチが必要なんです。
ーー佐々木:確かに、子どもを直接支えるには、教育者も支援者も“懐に入る力”が問われますね。マニュアルだけでは届かない部分です。
木下:不登校って、実は「学校がつくっている」のかもしれないという視点を持ってもらいたいんです。教員が悪意を持ってやってるわけではない。教育行政もそう。でも、結果として、学校という器が「不登校」という状態を生み出している側面は確かにある。その理由のひとつが、年齢や学年で「こうあるべき」と決めて、そこにはまらない子を「普通」から外してしまうこと。そうやって子どもが、「相手にしてくれないなら、もういいや」と離れていく。改善を求めても、「前例がないのでできません」と返す学校側。それって特別支援教育と矛盾してませんか? 支援ニーズがあるなら、配慮しながら新しいことを試してほしい。親も、そう言っていけるような存在になってほしい。僕らは現場でその後押しをしていきたいと思ってます。個別性——それをもっと大事にしてほしい。そして、子どもの権利条約やこども基本法を、一度でもいいから指導的立場の人には読んでほしい。読んだことある人も、もう一度読み直して、自分の関わり方を見直すきっかけにしてもらいたいです。こどもが「学びの主体」となれるように。
ーー佐々木:尊厳、個別性、そして子どもの権利——これらを“理想論”ではなく、“日常の実践”としてどう根づかせていくか。それこそが、今の教育や支援の現場に問われている課題だと、私も強く感じます。制度、支援者、保護者、そして子どもたち。すべての関係性を見直すなかで、改めて「学びとは何か」を社会全体で問い直していくこと——それが今、私たち大人に課せられた責任なのかもしれません。

本日は、たくさんのお話を聞かせていただきました。木下先生、本当にありがとうございました。
編集後記
前後編を通して、木下さんが繰り返し語っていたのは「子どもを人として見る」というごく当たり前でいて、とても難しい支援の姿勢でした。
学歴でも、適応でも、成績でもない。その子が何を感じ、どう過ごしてきたのか。その声にならない部分にこそ目を向け、環境ごと支えていく。それは一朝一夕にできることではなく、信頼の積み重ねと、関係の手入れが要る営みです。
この取材を通じて印象的だったのは、木下さんの支援の言葉が決して「支援者側の視点」からだけで語られていなかったこと。保護者としての視点も、伴走者としての迷いや失敗も包み隠さず語ってくださいました。その姿勢に触れたとき、支援とは「正しさ」より先に「関係性」があるのだと、あらためて気づかされました。
不登校や発達障害のある子どもたちを取り巻く環境は、まだまだ「制度」と「実際」のあいだに大きなギャップがあります。そこに介入するには、知識だけでも、情熱だけでも足りない。個を尊重し、対話を重ねる姿勢こそが、構造に風穴を開けていく鍵になるのだと、今回の取材を通して強く実感しました。
インタビューのなかで交わされた言葉が、どこかで今まさに悩んでいる誰かの視点や選択の助けになることを願っています。
▶︎ この記事の前編はこちら:子どもたちに「安心の場」を届けるために──不登校支援の現場から見える、親と社会の役割[前編]