
「インクルーシブ教育」という言葉を聞いたことはありますか?
現在、教育業界ではインクルーシブ教育を実現するためにさまざまな取り組みが進められています。しかし、そもそもインクルーシブ教育とは何なのか、どのような取り組みが進められているのか、疑問に思う方も多いでしょう。本記事では、インクルーシブ教育に関する基本的な知識、導入のメリット・デメリット、具体的な取り組みなどについて詳しく解説します。海外での事例や今後の課題についてもお伝えしていますので、インクルーシブ教育について理解を深めたいという方はぜひご覧ください。
障害の有無による隔たりを取り除く 「インクルーシブ教育」とは
インクルーシブ教育とは、障害の有無に関わらず、全ての子供が同じように教育が受けられる仕組みのことを言います。障害のある子供が他の子供と一緒に教育を受けるために、個々の教育ニーズに合った支援や指導を提供するということがインクルーシブ教育の教育方針です。しかし、インクルーシブ教育が目指すのは、教育の場における隔たりを取り除くことだけではありません。障害の有無にかかわらず、共に尊重し支えあいながら全員が積極的に参加できる社会(共生社会)をつくりあげることがインクルーシブ教育の目的です。つまり、インクルーシブ教育とは、共生社会を形成するための平等な教育体制のことを指します。
文部科学省が提唱する日本の共生社会の形成とは
文部科学省が目指す共生社会とは、障害の有無にかかわらず、誰もが尊重され、社会に参加・貢献できる全員参加型の社会です。互いの多様な生き方を認め合うことを重視しています。
インクルーシブ教育システムの構築
インクルーシブ教育システムが重要な理由は、多様性を認め合う社会の実現には、教育段階からの共生体験が欠かせないためです。
文部科学省は、連続性のある多様な学びの場を提案しています。通常学級での学習を基本としつつ、必要に応じて通級指導や特別支援学級を活用する柔軟な体制です。
例えば、読み書きが苦手な児童生徒は、国語の時間だけ個別指導を受け、他の教科では通常学級で学習します。重度の知的障害がある生徒でも、音楽や体育などの授業では他の児童生徒と一緒に活動できる場を用意します。
教員の専門性向上も、インクルーシブ教育システム構築の柱です。特別支援教育の知識を持つ教員が、通常学級を支援し、個々の教育的ニーズに応じた指導計画を作成する体制が必要です。
インクルーシブ教育システムの構築により、全ての子どもが自分らしく学べる環境が実現し、共生社会の基盤が築かれるでしょう。
システム構築のための特別支援教育の推進
特別支援教育の充実こそが、インクルーシブ教育システム実現のポイントです。障害のある子どもたちが持つ多様な教育的ニーズに対応するためには、専門的な知識と技術が不可欠です。従来の画一的な教育では、個々の特性を生かした指導が困難でした。
推進方法として、文部科学省は3つの柱を掲げています。
第1に、障害のある子どもの教育の充実です。彼らが持つ能力や可能性を最大限に引き出し、自立して社会へ参加できる十分な教育環境を整える必要があります。
例:ICTを活用した学習支援
第2に、地域社会での生活基盤の形成を促すことです。障害のある子どもが地域で豊かに生きるには、同世代の子どもたちとの交流を通じて社会性を育むことが欠かせません。
例:地域住民との交流機会の創出
第3に、障がい者理解の推進を図ることです。特別支援教育を通じて障害に関する理解を深めることは、共に学び生きる中で、社会の構成員としての基礎を築く上で重要です。
日本のインクルーシブ教育の現状

日本は障害の有無にかかわらない教育や雇用、社会保障へのアクセスを保証する対策を進めています。一方で、多様な人々が共存する「包摂的な考え方」や具体的な対策はまだ十分に浸透していません。結果として、インクルーシブ教育の普及は遅れています。
文部科学省は、共生社会の形成に向けた取り組みを強化しています。ただし、障害の有無に焦点を当てた場合でも、日本のインクルーシブ教育の普及は道半ばといえるでしょう。
インクルーシブ教育とインテグレーション教育の違いとは
インクルーシブ教育に似た言葉で、「インテグレーション教育」という言葉があります。
インテグレーション教育とは、障害のある子どもと障害のない子どもを区別した上で、同一の教育環境で学ばせるという教育体制です。障害の有無にかかわらず全ての人が同等に生活するというノーマライゼーションの考えが根底にあります。インテグレーション教育では、障害のある子どもも含め全ての子どもが通常学級に統合されました。しかし、障害のある子どもへのサポートや配慮は十分でなく、学力差やいじめが問題になりました。その後、1994年にスペイン・サラマンカで行われた「特別なニーズ教育に関する世界会議」でインクルーシブ教育の理念が表明されました。これを機に、環境を同じにすることばかりが重要視されたインテグレーション教育は、同じ環境の中で個々のニーズに合った配慮を行うインクルーシブ教育へと移行していったのです。
インクルーシブ教育と特別支援教育の違いとは

インクルーシブ教育は、障害の有無にかかわらず、全ての子どもたちが同じ場所で共に学び、育つ「統合型」の教育を目指すものです。対照的に、特別支援教育は、個々の障害特性に応じた専門的なサポートを提供する「専門特化型」の教育といえるでしょう。
インクルーシブ教育の実践例としては、通常の学級での協働学習や、個別のニーズに応じた柔軟な学習支援が挙げられます。
一方、特別支援教育の実践例は、通常の学級に在籍しながら、特定の時間を専門的な指導教室で学ぶ「通級による指導」です。
教員側のインクルーシブ教育のメリットとデメリット
インクルーシブ教育を教育者として行う以上、メリットだけでなくデメリットも理解しておく必要があります。メリット・デメリットについてそれぞれ解説します。
メリット:教育スキルの向上が期待できる
教員側のメリットは、教育スキルの向上が期待できるという点です。
インクルーシブ教育では、教員が障害のある子どもと障害のない子どもの両方の指導に携わります。教員は実際に障害のある子どもに触れることで、障害に対する理解が深まると共に、専門的な教育スキルも身につけられるのです。
デメリット:業務の増加により負担が大きくなる
デメリットとして挙げられるのは、業務負担が大きくなるという点です。
インクルーシブ教育では、障害のある子ども1人ひとりに合った支援や配慮が求められます。教員側は個々への支援や配慮に加えて、授業遅延がないようクラス全体も管理しなければなりません。よって、教員側の業務は増加し、負担が大きくなってしまいます。
インクルーシブ教育における取り組みについて
インクルーシブ教育では、主に以下7つの取り組みが行われます。
・基本的な環境の整備
・多様な学びの場と連携
・交流学習の推進
・学校や教員による「合理的配慮」
・教室や授業の工夫
・就学先決定の仕組みの改善
・相談や情報提供の機会の増進
順番に見ていきましょう。
基本的な環境の整備
まずは、多様な子どもたちが等しく教育を受けられるように、基本的な環境の整備が必要です。
例えば、身体的に障害のある子どものために、バリアフリーな環境を整えることなどが挙げられます。さらに、特別支援学級と通常学級を行き来できたり、共同で学びを受けたりできるようなシステムの構築も、基本的な環境整備の1つです。障害の有無にかかわらず、全ての子どもが学びやすい環境を整えることが求められます。
多様な学びの場と連携
地域全体でインクルーシブ教育システムを構築するには、多様な教育資源を組み合わせる「スクールクラスター」の考えが必要です。全ての子ども1人ひとりの多様な教育的ニーズに、地域が一体となった学びの場として連携することで、応えられるようにするためです。
特に、特別支援学校は、インクルーシブ教育システムにおいて重要な役割を担います。小・中学校の教員支援、特別支援教育に関する相談や情報提供などに代表される「センター的機能」を有しているからです。
今後、特別支援学校は、スクールクラスター内で「コーディネーター機能」を積極的に発揮することが期待されます。通級指導の拡充など、発達障害を含む障害のある児童生徒への指導・支援機能の強化と専門性の向上が必要です。
交流学習の推進
交流学習の推進は、インクルーシブ教育の実現に欠かせません。特別支援学校や特別支援学級に在籍する子どもたちと、通常学級の子どもたちの交流は、双方に大きな意義があるからです。
この経験を通じて、子どもたちは社会性を養い、豊かな人間性を育むだけでなく、多様性を尊重する心を育めます。
特別支援学校と幼稚園、小・中・高等学校などとの交流学習は、より計画的・組織的に進める必要があります。双方の学校で教育課程に位置付けたり、年間指導計画を作成したりすることが重要です。その際は、関係する教育委員会との連携が必要です。
同様に、特別支援学級と通常の学級との間で行う交流学習も、目標を明確にして教育課程に組み込むなど、計画的な推進が求められるでしょう。
学校や教員による「合理的配慮」
1人ひとりが学びやすい環境が整った上で、学校や教員は個々に対する「合理的配慮」を行います。
合理的配慮とは、それぞれの障害の状態や教育ニーズに合わせたサポート・配慮を指す言葉です。読み書きが困難な子どもへの合理的配慮や、落ち着きがない子どもへの合理的配慮など、サポートの仕方はそれぞれ異なります。障害のある子どもも他の子どもと同じように一般教育が受けられるように、学校や教員は合理的配慮に努めなければなりません。
教室や授業の工夫
教室や授業全体で行うべき工夫もあります。
例えば、「教室や授業での指示や大事なことを分かりやすく伝える」という工夫です。ゆっくり話したり繰り返し伝えたりなど、全員が同じように理解できるように工夫します。また、ときには口頭だけでなく、文字に起こして明示することも必要でしょう。他にも、行動の切り替えをしやすくするためにルールを明確にしたり、視覚的刺激を少なくするために掲示物を隠したりするなど、教室や授業でできる工夫は多々あります。個々への配慮に加えて、全体でできる工夫を行うことが大切です。
就学先決定の仕組みの改善
従来の就学先決定の仕組みを改めるという取り組みがされています。
これまでは、障害のある子どもは原則特別支援学校に就学するという仕組みでした。しかし、インクルーシブ教育では、本人の障害の状態・教育ニーズ・保護者の考え・専門家の意見・学校や地域の状態などを総合的に見て就学先を決めるという仕組みが推進されています。本人の教育ニーズや保護者の考えを最大限尊重し、就学先の決定だけでなく就学後の転学にも柔軟に対応できるように、仕組みの改善が進められているのです。
相談や情報提供の機会の増進
教育に関する相談や情報提供の機会を増やすこともインクルーシブ教育の取り組みの1つです。
子ども1人ひとりの教育ニーズに合わせた支援や配慮を行うためには、乳幼児期を含む早期から教育・就学相談ができていることが重要だとされています。支援が必要な本人や保護者は十分な情報を得ることができ、教育関係者は個々の教育ニーズを早いうちから把握することができるという、両者にとって有益な取り組みです。相談や情報提供の機会を増やすことで、円滑な支援や配慮が可能になります。
海外におけるインクルーシブ教育の具体例
では、海外ではどのようにインクルーシブ教育が進められているのでしょうか。ここでは、フィンランド・イギリス・オーストラリアの3カ国におけるインクルーシブ教育の具体例をご紹介します。
フィンランド
フィンランドでの具体的な取り組みの1つが「三段階支援」と呼ばれるものです。通常学級の教員が対応する「一般支援」、一般支援が十分でなかったときの「強化支援」、さらに支援が必要な場合の「特別支援」と、三段階で支援を提供しています。また、複数の教員が協力して授業を行う「Co-teaching」という取り組みもしており、通常学級でのサポート体制を十分に整えています。
イギリス
イギリスでは、学級担任の他に個々の教育ニーズに合わせた支援を行うサポートスタッフが配置されています。また、サポートスタッフの数は全スタッフの3分の2から2分の1を占め、十分に支援が行える数のサポートスタッフが配置されているのです。他にも「SENサポート」と呼ばれる取り組みがあります。学級担任がSENCO(Special Educational Needs Coordinator)の助言のもと個別の教育計画を作成し、教育計画に基づいて指導を行うということが仕組化されているのです。さらに、障害のある子ども向けのカリキュラムの作成、教育・医療・福祉が連携したサポートなど、あらゆる取り組みが行われています。
オーストラリア
オーストラリアでは、特別学校や特別学級など、どのような学びの場を提供するかが州によって異なります。また、教育カリキュラムについても州ごとに違いがあります。2013年に導入されたナショナルカリキュラム(オーストラリアン・カリキュラム)によって、多様性や人権教育を含んだカリキュラムの作成が求められるようになりました。具体的には、「人文科学と社会科学」で人権理解について、「保健・体育」で障害について扱われています。国全体を通して、人権教育が推進されているのです。
インクルーシブ教育の事例と取り入れた事例

ICT教材「すらら」は、インクルーシブ教育の実現に貢献する事例の1つです。すららの教材は、学習塾から公立・私立の小中高校、高等教育機関、自宅学習まで、多くの環境で活用されています。
特徴は、低学年向けのコンテンツに「発達に特性があっても理解できる」というインクルーシブな発想を取り入れている点です。
鳥取県教育委員会では、従来から不登校児童生徒の学習支援目的ですららを導入していました。その後、公立の小中学校にも導入が広がり、県内6自治体で活用が進んでいます。
病弱特別支援学校での導入の検討をきっかけに、他の障害種別の特別支援学校ですららの活用を実践することになりました。
インクルーシブ教育に残された課題
インクルーシブ教育の推進には、いくつかの重要な課題が残されています。主な課題としては、人的資源の不足、学習環境の整備、保護者の理解と協力の確保、合理的配慮の範囲が限定的であることが挙げられます。
人員不足
インクルーシブ教育には「人員不足」という課題が残されています。個々の教育ニーズに合った合理的配慮が求められるインクルーシブ教育では、サポートをするための教員数が十分ではありません。課題解決に向けて、コーディネーターや複数の教員との連携が必要になります。
環境整備が必要
インクルーシブ教育を推進するには、環境整備が必要です。「合理的配慮」の実現には、学習環境そのものが整っている必要があります。
国・都道府県・市町村が連携し、必要な財源を確保します。その上で学校施設のバリアフリー化や、個別の学習ニーズに応じた教材の整備を進めるべきです。代表例として段差の解消、エレベーターの設置、視覚支援ツールの導入などが挙げられ、費用と時間がかかります。
保護者の理解・協力の不足
インクルーシブ教育の効果を最大限に引き出すには、保護者と学校の協力体制が必要です。現状では、インクルーシブ教育に対する保護者の理解が十分でないケースがあり、学校との間で誤解が生じることがあります。
保護者がインクルーシブ教育の目的や、子どもにもたらすメリットを十分に把握していない場合もあるでしょう。学校の取り組みに対して戸惑いを感じたり、協力体制が築きにくくなったりする可能性があります。
合理的配慮の範囲が限定的
これまで学校では、障害のある児童生徒への配慮を行ってきましたが、インクルーシブ教育における「合理的配慮」の範囲はまだ限定的です。
ただし、「合理的配慮」という概念は新しく、学校や教育委員会、本人や保護者の間で十分に理解されていないのが現状です。情報不足が理解を妨げています。
早急に「合理的配慮」の充実に向けた調査研究事業を行い、国としてデータベースを整備することが必要です。
中長期的には、これらの研究結果を踏まえ「合理的配慮」と「基礎的環境整備」を充実させることが重要です。
まとめ
インクルーシブ教育は、障害がある子どもと障害がない子どもが共に教育を受ける仕組みです。共生社会の形成を目指し、障害の有無による障壁をなくすことを目的としています。個々の教育ニーズに応える合理的配慮や教室・授業での工夫など、インクルーシブ教育の取り組みはさまざまです。しかし、インクルーシブ教育は必ずしも良いことばかりではなく、教員側のデメリットや残された課題があることも覚えておかなければなりません。

